2024/2/18今日の学び

日本史

今日は日本史から学習をした。

江戸時代の社会経済

引き続き内容は江戸時代の社会経済である。
今回はその中でも、交通に焦点を絞って学んだ。

五街道と三都

五街道とは、以下の5つを指す。

  1. 東海道:江戸~京都、海沿いを通る。
  2. 中山道:江戸~草津、山の中を通る。
  3. 甲州道:江戸~下諏訪
  4. 日光道中:江戸~日光
    なぜ日光によるのか?というと、家康の墓である日光東照宮があるからである。
  5. 奥州道中:宇都宮~白河


三都とは、以下の3つの都市を指す。

  1. 江戸
    約100万人(人口の半分は武士、残り半分は商人)の消費都市。
    江戸幕府の将軍がいる江戸城があるため「将軍のお膝元」と呼ばれた。
  2. 大坂
    人口は約40万人の商業都市
    多くの商人が集まり、「天下の台所」と言われた。
  3. 京都
    工業都市
    西陣織などが有名。
交通整備(陸)
  • 脇海道:五街道以外の街道のことを指す。
  • 一里塚:1里(約4km)ごとに設置した標識のことで、木などが植えられていた。
  • 関所:江戸の「入鉄砲に出女」を取り締まった。
    鉄砲が入ってくること、大名の女が出ていくのを厳しく取り締まった。
  • 宿場:宿場は3つに分けられる
    • 問屋場:宿場の事務所
    • 本陣:大名の宿
    • 旅籠(はたご):一般用の宿
  • 飛脚:運輸通信業者で、モノや手紙を届けた。
交通整備(海)
  • 東廻り航路、西廻り航路があり、河村瑞賢が整備した。
  • 菱垣廻船という大型船や、樽廻船といった小型船を使った。
  • 大坂から江戸に送られる商品を下り物(くだりもの)といった。

世界史

次は世界史に移る。
今日はアテネとスパルタについて。

ギリシアの典型的な都市国家アテネ

最初の頃は有力者である貴族が中心の政治であった。
アテネでは穀物がとれなかったので、商工交易を主として発展した。
商工業が活発化し、富裕市民が出現。
それに武器などを買うことができるようになり、平民の台頭、重装歩兵を構成し国防に尽力。
ここから、平民たちも、話し合いに参加させろ!と訴えるようになる。

  • ドラコンの改革:従来の慣習法を成文化し、貴族による法の独占を破る。
  • ソロンの調停:財産政治の実施。財産に応じて、4等級に分け、等級に応じて、参政権と兵役の義務が認められた。
  • ペイシストラトスの改革(僭主政治):僭主とは独裁者のことであるが、彼はあくまで弱いものを守るための独裁を行った。
  • クレイステネスの改革(民主政治の基礎):陶片追放といって、独裁者を追放したり、デーモン(区)を設置した。

ギリシアで例外的な都市国家のスパルタ

ここからギリシアでは例外的な都市国家を樹立したスパルタの話に移す。
なぜスパルタは他のギリシア都市国家とは違ったのか?
その理由は、穀物栽培ができた点にある。つまり、他の町との交易活動が不要だった。
人口構成は、以下の通りだった。

  • 完全市民(スパルティアタイ):鉄製武器を持つドーリア人の子孫で、強かった。
  • ペイオイコイ(半自由民):農業・商工業に従事した(特に商工業)
  • ヘイロータイ:隷属農民(国有)
    完全市民1人に対して、20~30人のペイオイコイ・ヘイロータイを従えていたという。