2024/2/19今日の学び

日本史

今日も江戸時代の社会経済の続き。

モノの流れ

農民が生産したものを直接問屋に売り、問屋が市民に売るということもあったが、基本的には以下の流れであった。
農民→幕府・大名→蔵屋敷→問屋→小売→市民

幕府や大名が経営する蔵屋敷にいったん通され、その後市民の手に渡った。
蔵屋敷には、「蔵元」というモノを管理する人と、「掛屋」といって金を管理する人がいた。

これ以外のルートとして、以下のルートもあった。
農民→幕府・大名→蔵屋敷→札差→旗本・御家人

このルートをたどり、旗本や御家人は給料を得た。
間にいる札差(ふださし)というのは、コメをお金に換金し手数料を取っていた。

市場と問屋

問屋が集まる町があった「卸売市場」
大阪で有名なのは、「堂島の米市」「雑喉場の魚市」「天満の青物市」
江戸で有名なのは、「日本橋の魚市」「神田の青物市」

問屋は株仲間というグループを作り、独占的に利益を得ていた。
大阪の「二十四組問屋」、江戸の「十組問屋」
つまり簡単に問屋を始められたというわけではない。

世界史

次は世界史の学び。

ペルシア戦争

ギリシア世界に焦点を当てる。
ギリシアでは、前500~前449年と約50年、ペルシア戦争が続いた。
きっかけはアケメネス朝ペルシアがイオニア植民市に攻めてきて、それに対して、反乱を起こしたことだ。
当時の戦いは以下の通り。

アテネ民主政治の完成

以上の戦いを経て、アテネでは民主政治が完成した。
民会(最高議決機関)が設けられ、18歳以上の成人男性市民に参政権が与えられた。
しかし、それは今のような完全な民主政治ではなかった。
女性は参加できなかったし、奴隷がいた。

ポリスの対立

ギリシア世界では、今後ペルシアが攻めてきたときに備え、アテネを筆頭にデロス同盟を結んだ。
しかし、各ポリスをアテネが支配するようになる。
そこで、アテネをよく思っていないスパルタ中心のペロポネソス同盟と「ペロポネソス戦争」が起こった。
スパルタがアテネを破り、スパルタの覇権掌握。
しかし、スパルタの覇権は長くは続かず、テーベが覇権を掌握した。