2024/4/15今日の学び
日本史
内閣と憲法
1885年 内閣制度の創設
これにより、太政官制は廃止された。
初代大臣:
上記とは別に、内大臣がいた。
天皇補佐の役割。
初代:三条実美。
憲法の起草:
伊藤博文+官僚の伊東、金子、井上+外部顧問&ドイツ人のロエスエルとモッセ。
1888年 市制・町村制
地方制度の整備。
外交
外務大臣の井上馨は、欧化主義政策を推進した。
これは日比谷の鹿鳴館での外交に象徴される。
1886年 ノルマントン号事件
イギリス船が紀州沖で沈没。
→ 領事裁判の結果、イギリス領事は船長に無実の判決。
→ 政府内からも批判。
→ 井上辞任する。
民衆運動
自由民権運動の回復。
1887年 三大事件建白
以下の3つを求め、建白書を提出!
- 地租改正の軽減
- 言論の自由
- 外交失策の挽回
1887年 保安条例
弾圧立法。
民権派を皇居外3里の地に3年間追放した。
2024/4/13今日の学び
日本史
今日は松方財政について、まとめていく。
松方財政
大蔵大臣の松方正義による財政政策である。
なにをやったか?簡単に言うと、インフレをデフレにした。
そもそも西南戦争などによる不換紙幣大量発行によりインフレになった。
不換紙幣とは、金や銀と交換できないお金のこと。
価値のないお金が大量に出回ったことにより、インフレ、つまり物価が上昇した。
政策①紙幣整理
増税や歳出の削減を実行し、世の中に出回るお金を減らした。
政策②日本銀行設立
中心となったのは、渋沢栄一。
銀本位制の採用。
<1885年> 中央銀行である日本銀行が、銀兌換銀行券を発行した。
政策③官営事業の払い下げ推進
<1880年> 工場払い下げ概則
→厳しすぎたため、1884年に廃止して払い下げが進む。
松方財政の影響
デフレ政策の影響①自作
米価の下落により、地租を支払うことができず、小作農に没落した。
地租は一定。
つまり、今までと同じ米を収穫しても、米価が下落することによって、
収入が減る。
デフレ政策の影響②地主
土地集中が進み、寄生地主制が進行。
高率の現物小作料をとる。
→これらにより、貧富の差が拡大するが、資本主義の基盤が形成される。
2024/4/8今日の学び
日本史
今日は自由民権運動の続きから。
士族の反乱
1876年 秋月の乱(福岡)
1876年 萩の乱(山口)
1877年 西南戦争(鹿児島):西郷隆盛
これが国内最後の内乱である。
自由民権運動
この時期の内務卿は、伊藤博文。
1877年 立志社建白
政府を批判し、国会開設を要求する!
1878年 愛国社再興
1880年 集会条例
弾圧立法。
これにより、国会期成同盟をつぶす。
集会の許可制・警察官監視制などを規制した。
これにより、一時は自由民権運動が収束するが、
逆転劇が起こる。
1881年 北海道開拓使官有物払下事件
黒田清隆(薩摩)が、タダ同然で官有物を同じ薩摩出身の政商に
払い下げようとしていたことが発覚した。
→これにより、政府批判が集中。
その結果、以下の2つのことが起こる。
①国会開設の勅諭
政府は10年後の国会開設を公約した。
②伊藤は、政府内で国会早期開設を唱えていた大隈重信を
事件と関係がありとみて、政府から追放した。
(明治十四年の政変)