2024/4/16今日の学び

日本史

黒田清隆内閣

1888年 枢密院設置
天皇の最高諮問機関
→ 天皇臨席のもと、極秘に憲法審議。
初代枢密院議長:伊藤博文

1889年2月11日
大日本帝国憲法明治憲法)を発布。

皇室典範制定

衆議院議員選挙法制定
直接国税15円以上を納める25歳以上の男子のみ。

外交

  • 外務大臣大隈重信が国別秘密交渉を行う。
    (外国人判事任用を大審院に限定)
    → ロンドンタイムズに交渉内容を暴露され、世論の攻撃を受ける。
    → 玄洋社員に襲われ、負傷。
    → 交渉中止。

2024/4/15今日の学び

日本史

内閣と憲法

1885年 内閣制度の創設
これにより、太政官制は廃止された。

初代大臣:

上記とは別に、内大臣がいた。
天皇補佐の役割。
初代:三条実美

憲法の起草:
伊藤博文+官僚の伊東、金子、井上+外部顧問&ドイツ人のロエスエルとモッセ。

1888年 市制・町村制
地方制度の整備。

外交

外務大臣井上馨は、欧化主義政策を推進した。
これは日比谷の鹿鳴館での外交に象徴される。

1886年 ノルマントン号事件
イギリス船が紀州沖で沈没。
→ 領事裁判の結果、イギリス領事は船長に無実の判決。
→ 政府内からも批判。
→ 井上辞任する。

民衆運動

自由民権運動の回復。

1886年 大同団結運動
自由党立憲改進党が団結した。

1887年 三大事件建白
以下の3つを求め、建白書を提出!

1887年 保安条例
弾圧立法。
民権派を皇居外3里の地に3年間追放した。

2024/4/13今日の学び

日本史

今日は松方財政について、まとめていく。

松方財政

大蔵大臣の松方正義による財政政策である。
なにをやったか?簡単に言うと、インフレをデフレにした。

そもそも西南戦争などによる不換紙幣大量発行によりインフレになった。
不換紙幣とは、金や銀と交換できないお金のこと。
価値のないお金が大量に出回ったことにより、インフレ、つまり物価が上昇した。

政策①紙幣整理
増税や歳出の削減を実行し、世の中に出回るお金を減らした。

政策②日本銀行設立
中心となったのは、渋沢栄一
銀本位制の採用。
<1885年> 中央銀行である日本銀行が、銀兌換銀行券を発行した。

政策③官営事業の払い下げ推進
<1880年> 工場払い下げ概則
→厳しすぎたため、1884年に廃止して払い下げが進む。

松方財政の影響

デフレ政策の影響①自作
米価の下落により、地租を支払うことができず、小作農に没落した。
地租は一定。
つまり、今までと同じ米を収穫しても、米価が下落することによって、
収入が減る。

デフレ政策の影響②地主
土地集中が進み、寄生地主制が進行。
高率の現物小作料をとる。

→これらにより、貧富の差が拡大するが、資本主義の基盤が形成される。

2024/4/12今日の学び

日本史

今日から明治初期の経済について学んでいく。

殖産興業政策(工部省)

1870年 工部省
初代工部卿伊藤博文
鉱工業・鉄道等。

官営軍事工業として、長崎造船所・横須賀造船所を作る。

1871年 郵便制度:前島密が整備する。
1872年 鉄道開通:新橋・横浜間。
1881年 日本鉄道会社:最初の私鉄。(家族が出資)

海運:岩崎弥太郎が、政府の保護を受け、発展させる。
→ 日本郵船会社。

殖産興業政策(内務省

1873年 内務省
初代内務卿:大久保利通
軽工業・農業など。

官営模範工場として、「富岡製糸場」を建設。
ここでは、生糸を作る。→これがシルクとして売られるようになる。

2024/4/10今日の学び

日本史

自由党の激化事件

この時期、自由党の激化事件が相次いだ。

1882年 福島事件
1884年 秩父事件
1885年 大阪事件

これらを経て、自由党は解党に追い込まれた。

朝鮮問題

1882年 壬午軍乱
王の父(親清派)の大院君が、王の妃(親日派)の閔妃に対して、
クーデタをおこすも失敗。

1884年 甲申事変
独立党のものが、事大党の閔妃に対して、クーデターを起こすも失敗。

1885年 天津条約
日清間で結ばれた条約である。
内容は以下の通り。

  • 日清両国は、朝鮮から撤兵。
  • 以後、出兵時には相互に事前通達する。

2024/4/9今日の学び

日本史

今日から政党について学んでいく。

政党の結成

1881年 自由党

  • 党首:板垣退助
  • 機関紙:自由新聞
  • 特徴:フランス流で急進的

1882年 立憲改進党

  • 党首:大隈重信
  • 機関紙:郵便報知新聞
  • 特徴:イギリス流で穏健的

1882年 立憲帝政党

★私擬憲法
政党など民間で作られた憲法の私案。

憲法制定の準備

1882年 伊藤博文、渡米。
ベルリン大学のグナイスト、ウィーン大学のシュタインに師事。

プロイセン憲法(ドイツ憲法)を学ぶ。
この憲法国家主義(政府中心)であった。

1884年 華族
貴族院の創設に備え、5爵の爵位を創設した。

2024/4/8今日の学び

日本史

今日は自由民権運動の続きから。

士族の反乱

1874年 佐賀の乱江藤新平

1876年 秋月の乱(福岡)

1876年 萩の乱(山口)

1877年 西南戦争(鹿児島):西郷隆盛
これが国内最後の内乱である。

1878年 紀尾井坂の変
大久保利通の暗殺事件。

自由民権運動

この時期の内務卿は、伊藤博文

1877年 立志社建白
政府を批判し、国会開設を要求する!

1878年 愛国社再興

1880年 国会期成同盟 ←愛国社を改称し結成した!

1880年 集会条例
弾圧立法。
これにより、国会期成同盟をつぶす。
集会の許可制・警察官監視制などを規制した。

これにより、一時は自由民権運動が収束するが、
逆転劇が起こる。

1881年 北海道開拓使官有物払下事件
黒田清隆(薩摩)が、タダ同然で官有物を同じ薩摩出身の政商に
払い下げようとしていたことが発覚した。
→これにより、政府批判が集中。

その結果、以下の2つのことが起こる。
①国会開設の勅諭
政府は10年後の国会開設を公約した。

②伊藤は、政府内で国会早期開設を唱えていた大隈重信
事件と関係がありとみて、政府から追放した。
(明治十四年の政変)