日本史
今日は自由民権運動の続きから。
士族の反乱
1876年 秋月の乱(福岡)
1876年 萩の乱(山口)
1877年 西南戦争(鹿児島):西郷隆盛
これが国内最後の内乱である。
自由民権運動
この時期の内務卿は、伊藤博文。
1877年 立志社建白
政府を批判し、国会開設を要求する!
1878年 愛国社再興
1880年 集会条例
弾圧立法。
これにより、国会期成同盟をつぶす。
集会の許可制・警察官監視制などを規制した。
これにより、一時は自由民権運動が収束するが、
逆転劇が起こる。
1881年 北海道開拓使官有物払下事件
黒田清隆(薩摩)が、タダ同然で官有物を同じ薩摩出身の政商に
払い下げようとしていたことが発覚した。
→これにより、政府批判が集中。
その結果、以下の2つのことが起こる。
①国会開設の勅諭
政府は10年後の国会開設を公約した。
②伊藤は、政府内で国会早期開設を唱えていた大隈重信を
事件と関係がありとみて、政府から追放した。
(明治十四年の政変)