日本史
自由党の激化事件
この時期、自由党の激化事件が相次いだ。
1882年 福島事件
1884年 秩父事件
1885年 大阪事件
これらを経て、自由党は解党に追い込まれた。
朝鮮問題
1882年 壬午軍乱
王の父(親清派)の大院君が、王の妃(親日派)の閔妃に対して、
クーデタをおこすも失敗。
1884年 甲申事変
独立党のものが、事大党の閔妃に対して、クーデターを起こすも失敗。
1885年 天津条約
日清間で結ばれた条約である。
内容は以下の通り。
- 日清両国は、朝鮮から撤兵。
- 以後、出兵時には相互に事前通達する。