2024/4/7今日の学び

日本史

今日から自由民権運動について、学んでいく。

征韓論

洋行組:岩倉具視(公家)、大久保利通(薩摩)、伊藤博文(長州)、木戸孝允(長州)
VS
留守組:西郷隆盛(薩摩)、板垣退助(土佐)、後藤象二郎(土佐)、江藤新平肥前)、副島種臣肥前

→この論争によって、征韓論は中止になる。
留守組は、1873年に下野(明治六年の政変)

自由民権運動

自由民権運動の目的は、国会や憲法を作ること。

1874年 愛国公党設立。
板垣、後藤、江藤、副島らが設立した。

1874年 民選議院設立建白書
板垣、後藤、江藤、副島らが左院に提出。
→しかし、政府はそれを無視。

1874年 立志社の設立(土佐)
板垣退助、片岡健吉らが設立。

1875年 愛国社設立(大阪)
全国的組織。板垣らが設立。

1875年 大阪会議
大久保・板垣・木戸の3者会談。
政府は以下の内容を認めた。

①(漸次)立憲政体樹立の詔
→国会開設の準備をする。

元老院(立法)、大審院(司法)、地方官会議を設置。
→その後、板垣・木戸は政府に戻る。

1875年 讒謗律・新聞紙条例
弾圧立法。
政府の批判を禁止する。→愛国社解散。

士族の解体

1876年 廃刀令
警察官・軍人以外の帯刀を禁止する。

1876年 秩禄処分
家禄の支給を停止し、代わりに金禄公債証書を発行する。
→武士はそれを元手にして、商売を始めるも、士族の商法で失敗。
→政府は士族授産で対応。

2024/4/5今日の学び

日本史

今日も日本史の学習。明治初期の外交の続き。

琉球との関係

江戸時代、琉球は日本にも中国にも朝貢していた。
そのため、日本も中国も琉球は自分の手下のようにとらえていた。

1872年 琉球藩設置
国王の尚泰藩王として、家族に列する。

1879年 沖縄県設置
琉球王国を廃止し、廃藩置県を断行した。
→清の抗議あり。

朝鮮のとの関係

征韓論問題が発生。
留守政府は、鎖国中の挑戦を武力により開国させる。
岩倉使節団の帰国
征韓論中止
1873年 明治6年の政変

1875年 江華島事件
日本の軍艦が鎖国中の韓国を挑発する。
→砲撃を受ける。

1876年 日朝修好条規
日本優位の不平等条約であった。

ロシアとの関係

1875年 樺太・千島交換条約

2024/4/4今日の学び

日本史

今日から明治時代の外交について学んでいく。

条約改正問題

幕末に結んだ不平等な条約を解消したい!
その目的としては以下の2つが挙げられる。

1871年 岩倉遣外使節
予備交渉に失敗し、欧米視察して帰国。

そもそも、なぜ米国は日本で裁かれたくないのか?
→日本にはきちんとした法律がなかったから。

1878年 外務卿 寺島宗則の交渉
まずは税権の回復に焦点を当てた。
アメリカから賛成を得るものの、イギリス・ドイツの反対で失敗。

よってアメリカとも失敗に終わる。
なぜなら、江戸時代にアメリカに対して最恵国待遇を結んでいたため。
つまり、すべての国からOKをもらう必要がある。

清との関係

1871年 日清修好条規
これが最初の対等条約。

1871年 琉球漂流民殺害事件
台湾に漂着した琉球漁民が、台湾原住民に殺害される。

1874年 台湾出兵
西郷従道が指揮を執る。
江戸時代、琉球は日本にも中国にも朝貢していた。
そして、日本も中国も台湾を狙っていた。
そこで、台湾を攻めてあげたら、「琉球は日本のもの」と主張できると考えた。

2024/4/3今日の学び

日本史

今日は明治維新の土地制度の変化についてまとめていく。

江戸時代に定められた以下の2つの制度が解禁された。

  • 1871年 田畑勝手作禁 解禁
    「勝手に商品作物を作るな~」という制度。

  • 1872年 田畑永代売買禁 解禁
    「勝手に土地を売買するな~」という制度。
    →地価を決定し、地券を発行した。
    これは地方政府が発行する。
    これにより、土地の所有権を認めることになる。

これらを機に以下の条例が公布された。

  • 1873年 地租改正条例 公布
    地価に対して、税をかける。

地租改正

地租改正とは税制度である。
内容としては、以下のとおり。
「地価」の「3%」を「土地所有者」が「金納」する。

ちなみに、今までは、石高(米の収穫)に対して、耕作者に原則物納させていた。

※地価の3%ということは、地券の内容が変わらない限り、毎年収める金額は変わらなかった。

しかし、これは所有者にとっての税負担が大きくなり、
1876年 地租改正反対一揆が起こった。

2024/4/1今日の学び

日本史

今日も明治維新の続きから。

金融制度

政府は、不換紙幣を発行するが、誰も信用できず、出回らなかった。

  • 1871年 新貨条例
    • 円、銭、厘を採用する。
    • 金本位制の確立が目的。しかし、金不足で、実際は金銀複本位制だった。
      金本位制というのは、金と紙幣を交換する制度のことである。

この頃、金が不足していたのは、江戸の幕末、金銀交換比率の相違によって、大量に海外に流出していたから。

なぜ、民間が銀行を作る?
→政府にお金(金)がなかったため。 とはいえ、民間にも金が十分にあるわけでもなく、1876年に兌換義務を廃止。
すると、関係なくたくさん紙幣が発行される。
そして、貨幣価値は下がり、物価は上昇。(インフレ)

軍隊・警察制度

江戸時代は、士農工商で武士だけが戦ったが、
明治政府からは四民平等。
つまり、皆で戦うことになる。

  • 1873 徴兵令:法制度

    • 大村益次郎(長州)が構想するも1869年に暗殺される。
    • 山形有朋(長州)が実現させる。
    • 内容:20歳以上の男子は3年間軍隊に入る。
    • 兵役免除規定があった。
      • 官吏(役人)、戸主(家の主)、後継ぎ(長男など)、代人料270円を収めた者は免除された。
  • 1873年 内務省を設置

    • 警察を管轄下に置き、政府の最高権力を握る。
    • 初代内務卿:大久保利通
  • 1874年 警視庁創設:東京

2024/3/28今日の学び

日本史

前回の明治維新の続きから。

地方の政治

江戸時代は、「幕藩体制」といって、全国の4分の1を支配する幕府と、
全国の4分の3を支配する各藩の大名による政治体制だった。

大政奉還により、幕府はなくなったが、地方には300名以上の大名がいた。

1839年 版籍奉還
藩主が領地(土地)と戸籍(人民)を天皇へ返上する。
旧藩主を知藩事に任命し、石高の1割の家禄(棒禄)として支給。

1871年 7月 廃藩置県
薩摩・長州・土佐の精兵を1万人集めて、御親兵として、その武力を背景に断行。
中央政府から、府知事・県令を派遣した。

中央の動き

  • 藩閥政治
    薩摩・長州・土佐・肥前出身の有力者たちが政治の実権を握った。

1871年 11月 岩倉遣外使節
欧米に条約改正・欧米視察のために渡航

しかし、欧米にはあまり相手にしてもらえなかった。

身分制度

1869年 四民平等
近世の身分制度である「士農工商」を撤廃し、
平民にも苗字、通婚、移転の自由を認めた。

以下の3つに分けられた。
* 華族 * 士族 * 平民

1872年 壬申戸籍の作成
最初の近代的戸籍。全国を調査した。

2024/3/27今日の学び

日本史

今日から明治維新について学んでいく。

戊辰戦争

戊辰戦争とは、以下の戦いである。
新政府軍(薩長) vs 旧幕府軍

その流れを以下に記す。

1868年(明治元年

新政府の動き

戊辰戦争が起こっている裏側で、新政府は新しい政治をスタートする。

1868年(明治元年