2024/2/22今日の学び

日本史

今日は日本史を学習した。
江戸時代の文治政治について。

江戸時代の初期~約50年間は、「武断政治」が続いた。
家康、秀忠、家光の時代。

武断政治と言うのは、武力で威圧し、統制する政治であった。
しかしこのように政治により、牢人やかぶき者が増加。

牢人とは、大名を失った部下。大名がクビになったら、部下も仕事がなくなる。
そして、かぶき者とは、あらくれ者のことである。

それにより、社会は不安に包まれていた。

1651年、由井正雪が慶安事件を起こす。いや、起こそうとするも幕府に見つかってしまう。
幕府の武断政治に対する反乱であったが、未遂に終わった。

4代目の徳川家綱の時代。
世の中が少し変化する。

上記の事件がきっかけの1つとなり、彼は同年「末期養子の禁緩和」を実行。
ちなみに末期養子の禁とは、死の直前に養子をとることを禁ずるもの。
養子をとらずに死んでしまうと、その部下たち牢人になり、社会が乱れる。
それを防ぐために、50歳以下の大名は末期養子を認めた。

これが「文治政治」の表れとなった。
そんな徳川家綱の補佐をしていたのが、会津藩出身の保科正之であった。