2024/2/14今日の学び

日本史

江戸時代の社会経済

今日は江戸時代の社会経済として、人々の階層構造や農民の負担について学んだ。

江戸時代の人は、「士農工商」と大きく4つに分けられた。

  1. 士(武士) 約10%を占め、特権が与えられた。
    特権としては、苗字(名乗れる)、帯刀(刀を持てる)、切捨御免(町人・百姓の無礼に対して、殺しても処罰されない)などがあった。

  2. 農(農民) 約80%を占めた。

  3. 工(職人)

  4. 商(商人)

ここで注目すべきは、農民より、職人、特に商人の位が低かったこと。
「稼ぐことは卑しいことだ」と言われていた。

農民構成

全体の約8割を占めた農民の構成はどうなっていたのか?
本百姓という自作農民(土地を所有している農民)の下に、
水呑百姓(土地を持たない小作人)、
さらにその下に名子・被官といった隷属民がいた。

農民の負担

農民は税を村でまとめて納入していた(村請)。
何を負担していたか、と言うと、

  • 本途物成:米
  • 小物成:雑税(その他
  • 高掛物:村全体の石高にかかる付加税
  • 夫役(労役):国役と言う国ごとの労役や、助郷役といって人馬の提供があった


村の中では以下のように組織されていた。

  • 五人組(連帯責任)
  • もやい(共同労働)
  • 村八分(交際断絶の罰)

世界史

引き続き世界史の復習をする。

古代イラン

今日学んだのは古代イランについて。
なぜイランを見る必要があるの?
下記の図の赤丸のあたりがイラン高原である。

イラン高原

この場所が大事であるのは、東西をつなぐ中継地点であるからだ。
前3世紀には、パルティアという国があった。

これは「アルサケス」が建国。
彼には「安息」という中国名があった。
つまり、中国にまで彼の名前は知られていた。

東西交易の中継地点であることのメリットは多くの商人が集まり、繁栄することである。
一方、そのデメリットは、周りの大国に狙われること。
パルティアはササン朝ペルシアによって、滅亡した。

その後、イラン高原を支配したササン朝ペルシアはゾロアスター教を国教化することで、仲間意識を芽生えさせた。

しかし、642年には、ニハーヴァンドの戦いで当時めちゃくちゃ強かったイスラーム勢力に滅ぼされる。